初代から数えて10代まで続いた三菱のランサーエボリューション(通称:ランエボ)
普通は販売のテコ入れで改良するものですが、この車は競技に勝つために絶え間ない改良が続けられてきました。
間違いなく日本自動車史に残るランサーエボリューションの歴史を振り返ってみましょう。
(市販車より少し競技車目線です)
ランサーエボリューション誕生の経緯
ギャランVR-4でWRC(世界ラリー選手権※)を戦っていた三菱ですが、ギャランのモデルチェンジを迎えて窮地に陥りました。
引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
というのも新型ギャランは「より大きく、より豪華に」をキーワードにしており、モータースポーツのベース車両としては向かなくなっていたのです。
このため三菱はギャランより小型軽量のランサーを開発し、これをベース車両とすることにしました。
普通はラインナップにベース車両となるモデルがなかったら諦めるところですが、開発してしまうところに当時の三菱の勢いを感じます。
当時はRVブームで高額のパジェロが売れまくった時代でした。
こうして誕生したランサーをベースにランサーエボリューションの開発が始まります。
※・・・F1と並んで世界選手権のラリー競技で一般公道を閉鎖して行なわれます。舗装路のターマックや未舗装路のグラベル、雪やアイスバーンなどあらゆる路面が舞台です。
ランサーエボリューション

引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
酷使に耐えるべく車体が頑丈な中東仕様のシャシーをベースに、ギャランに搭載していたパワートレインを強引に移植してランサーエボリューションが1993年に誕生しました。
生産台数は5000台で即完売の状態でした。
1993年のWRCモンテカルロラリーでデビューしたランサーエボリューションですが、完走こそ果たしたもののその後は苦戦を強いられます。
他のメーカーが4WDのセンターデフ(前輪と後輪の回転差を調整する装置)を電子制御で対応していたところを三菱は油圧によるメカニカル制御にこだわっていました。
しかし、限られた期間での開発だったため十分な調整が出来ない状態のまま実戦投入された結果、伝達遅れによるレスポンスや精度に問題がありドライバーは極度のアンダーステア(ハンドルを切っても外側へ膨らむ現象)と格闘する羽目になります。
レギュレーション(競技規定)により改善のための大幅な変更ができないため、記念すべき初代ランサーエボリューションは1年足らずの短命に終わります。
ランサーエボリューションⅡ
ランサーエボリューションの問題点を徹底的に改善すべく開発されたのが1994年1月に登場したランサーエボリューションⅡです。
外観はランサーエボリューションとあまり変わりませんが、ボディ剛性の強化など中身は別物といっていいほどの改良が加えられています。
1995年2月のスウェディッシュラリーでは苦労人のケネス・エリクソン選手によってランサーエボリューションのWRC初勝利を挙げています。
ランサーエボリューションⅢ

引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
ランサーエボリューションⅢはランエボⅡの改良版として1995年1月に登場しました。
主に空力と冷却性能アップに注力されています。
初めてミスファイアリングシステム(アクセルオフでもターボラグをなくす装置)が搭載されました。(一般向けには無効にしてあります)
1996年には、ランエボⅢで三菱のエースドライバーだったトミ・マキネン選手が三菱ワークスにとって初めてのWRCドライバーズタイトルを獲得しています。
これにより、ランサーエボリューションの海外での認知も高まりエボⅢから輸出も始まりました。
ランサーエボリューションⅣ
ランサーのモデルチェンジに伴い、ランサーエボリューションもⅣとして1996年8月に登場しました。
このエボⅣで初めてAYC(アクティブヨーコントロール/旋回時にカーブ内側のタイヤの駆動力を調整する機能)が搭載されます。
WRCでも華々しい戦績を残しており、トミ・マキネン選手が2年連続でドライバーズタイトルを獲得しています。
ランサーエボリューションⅤ

ランサーエボリューションⅤは1998年1月に登場しました。
ブレーキはブレンボ製とし、オーバーフェンダーの採用でエボⅣより75mmトレッドが拡大しターマック(舗装路)での競争力を向上させています。
ワークスカーでは新開発のACD(アクティブセンターデフ/旋回状況で前後の車輪の作動を制御する装置)が搭載され、のちにエボⅦの市販車にも反映されることとなります。
エンジンのマネージメントシステムを改良しパワーアップを果たしています。
また、シーズン途中からシングルスクロールターボも採用されました。
ターマックでの戦闘力が向上しトミ・マキネン選手はこの年のサンレモラリーで強豪揃いのライバル達を抑えて初勝利を挙げています。
この後ついに三菱ワークスとして念願のマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。
ランサーエボリューションⅥ

1999年1月に登場したのがランサーエボリューションⅥです。
空力を見直し冷却性能向上のため、タブーとされていたナンバープレートをセンターからずらして配置されました。
ロアアームなどアルミ製を多用して徹底して足回りの軽量化を図っています。
また、タービンをチタン合金製に変更したり、ピストンの軽量化、クラッチをツインプレート化して伝達力を向上しています。
2000年1月にはトミ・マキネン選手の4年連続ドライバーズタイトル獲得を記念してトミ・マキネンエディションという特別仕様車が設定されました。
ランサーエボリューションⅦ
ランサーがランサーセディアとしてモデルチェンジしたのに伴い、ランサーエボリューションも2001年にエボⅦとして開発されました。
しかしFIAはホモロゲーション規定(競技のベース車両に課せられる販売ノルマ)を満たしていないと判断し、ランサーエボリューションはWRCのトップカテゴリーから姿を消すことになります。
認められなかった原因の一説には三菱がWRカーに移行せずにグループAにこだわったためともいわれています。
これ以降はランエボは国内の全日本ラリー選手権やスーパー耐久へ活躍の場を移します。
ワークスカーで採用されていたACD(アクティブセンターデフ)が市販車にも初めて適用されました。
一般市販車でランサーエボリューション初のATを搭載したGT-Aというモデルが登場しています。
ランサーエボリューションⅧ

引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
2003年1月に登場したのがランサーエボリューションⅧで、三菱自動車がダイムラークライスラーグループの一員となって最初のランサーエボリューションです。
トランスミッションは従来の5速MTから6MTとなりました。
またAYCは更に制御量が増えたスーパーAYCへと進化しています。
2004年2月には、更に改良を加えてビルシュタイン製ダンパーを装備したランサーエボリューションⅧ MRが登場しています。
ランサーエボリューションⅨ

引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
エボⅧから細かい改良が施されて2005年に発売されたのがランサーエボリューションⅨです。
ギャランVR-4以来、長らく改良が続けられてきた4G63エンジンを採用する最後のランサーエボリューションとなります。
また、ランサーエボリューションとして初めて可変バルブタイミング機構が採用されました。
このモデルのトピックスとしてワゴンバージョンが存在したことです。
ランサーセディアワゴンにランエボのエンジンを載せたのではなく、ランエボの後ろ半分にワゴンの屋根を溶接するという何とも手間をかけた製品でした。
ランサーエボリューションⅩ

引用:https://www.mitsubishi-motors.com/jp/innovation/history/
実質、ランサーセディアの後継モデルとなるギャランフォルティスのコンポーネントを利用して開発されたのが2007年10月に販売されたランサーエボリューションⅩです。
このモデルからは限定生産ではなく普通のカタログモデルとして販売されていました。
搭載されるエンジンはダイムラークライスラーグループで共同開発したWEP(ワールドエンジンプロジェクト)の4B1エンジンがベースになっています。
トランスミッションでは5MTの他に、三菱初となるDCT(デュアルクラッチトランスミション)こと2ペダルMTが設定されました。
4WDには4輪統合制御システムのS-AWCが採用されています。
また、マイナーチェンジでランエボ初の300馬力を達成!
2015年に1000台限定のランサーエボリューション ファイナルエディションの販売を最後に10代にわたるランサーエボリューションの歴史に幕を閉じました。
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ランサーエボリューションを格安で買えた日本は幸せだった! まとめ

ランサーエボリューション(ランエボ)の歴史を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか?
ランサーエボリューションはWRCをはじめとする競技で勝つためのベース車両であり、販売の目的はあくまでFIAのホモロゲーションの取得でした。
数多くのモデルを排出してきた日本の自動車市場でここまで競技を目的にした市販車は他にありません。
個人的にランエボといえばミスファイアリングシステムが印象に残っています。
ラリーでは遠くからでも賑やかな音を響かせてやってくるので、車をよく知らないギャラリーには大うけでWRカー(WRCのトップカテゴリー)よりもやかましい車でした(笑)
私は仕事柄、自動車の生産ラインに出入りすることもあり三菱自動車にも何度か訪問しています。
エンジン工場の生産工程では、ランエボのエンジンは組立ても検査も特別扱いで「うわっ!スゲー手間がかかってるな~」と感心したのを覚えています。
こんな超高性能なエンジンを搭載し、そのまま競技に出場出来る車(保安パーツを除く)が、200~400万円台で購入出来た日本はつくづく幸せだったといえます。
ちなみに海外では400~800万円で販売されていましたので海外から見ればとんでもない話です。
ここまで続いた進化の裏には常に競技の世界に身を置いたことや、強力なライバル達の存在があったからでしょう。
2002年のWRCシーズン終了とともに三菱のワークス活動は終了、ワークスチームを運営していた子会社のラリーアートも今はもうありません。
(2022年には復活しました!)
現在、トヨタWRCワークスチームであるTOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamを率いているトミ・マキネン監督を見るたびに複雑な気持ちなのは私だけではない筈です。(彼はスバルでも大活躍でしたが...)
たまにショートサーキットに遊びに行きますが、ランエボはめっきり見かけることがなくなりましたね~。
やはり技術は競技で磨かれてこそ蓄積していくものなので、なんとも残念でなりません。
このランサーエボリューションで開発された技術のS-AWC(Super All Wheel Control)はアウトランダーやエクリプスクロスに引き継がれています。
引用:https://www.mitsubishi-motors.com/
この2台はSUVとは思えない運動性能を持っており、背の高い車にもかかわらずコーナリングの楽しい車に仕上がっていました。
現在の三菱自動車はSUVに注力することを表明しているので、当面はモータースポーツ参戦の前提にしたホットなモデルの登場は難しいようですね..。
1990年代のWRCのグループA(当時のトップカテゴリー)はエクステリアが市販車と限りなく近いうえに、日本メーカーが大暴れしていたので多くのファンをとりこにしました。
近いうちにWRCが日本でも開催される可能性があるそうなので、また日本車が活躍してくれることを願っています。
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